【小説】優しさとメロンソーダと大豆田とわ子(後篇)

「ラストの3人目はついこの前の彼氏で、この人は文句なく優しい人だと思う!」
「どんな風によ」
「私に優しいのはもちろんなんだけど、店員さんにも優しくて、家族も大切にしてた!」
「それは好感度高い。ほんと完璧な人だったんだ?」
「そうだね!私はその優しさにとても惹かれてた。でも強いて言うなら自己評価は低めだったかな。もっと自信持ちなよって散々伝えてたなぁ」
「なるほどそう言う人なのかぁ。そうなるとこの人も優しい人ではないのかもしれない」
「いやいやいや、この人はそんなことないって!」
 私は少し強引かと思いつつ、考えが合っていることを確認してから言った。
「他人の事を考えて行動するのは、自分のために行動してるんだと思わない?自己評価が低ければ承認されたさから行動が出たっておかしくないよ」
「それはそうだけどさぁ。そんなこと言っちゃったら世の中の人みんな優しくなくなっちゃうよ」
 彼女はそう言った後、メロンソーダのストローを前歯で噛みながら私にニィと笑顔を向けた。うーんと考えていた私も透かさずストローを前歯で噛んでニィとした。そして深刻から楽観へと頭を切り替えようとしたが、一度疑問に思ってしまったことを消すことができず口に出した。
「私もこんなこと言ってるけどほんとの優しさって分からないなあ」
 大丈夫だよ!という笑顔で彼女は言った。
「ここまで私の元彼自慢を面白くしてくれたんだからさ!あなたは私にとって大変に優しい人だよ」
「そうかな、自己評価の低さから出てる優しさでない?」
「それは分からん!そうだとしてもだよ。私はあなたの優しさを肯定するよ」
「サンキュ」
「良いってことよ」

 課題は進まなかったが頭は大変な仕事をしたため、私は堂々と帰宅した。一人暮らしの部屋には、一度買ってみたらなぜか蒐集癖に火がついてしまった達磨がそこら中に置いてある。一人暮らしは孤独という一般論があるが、このような独自の秩序の中で暮らせることを私は結構気に入っている。帰宅して早々に部屋着に着替え、さてとと夕飯の準備をした。

 作った料理を食卓に並べ、テレビの電源を点けた。夕飯時は何の気なしにテレビドラマを見るのが日課である。が、その日は気がつけばご飯を食べる手を止め、大きな体の達磨を抱えながらそのドラマに釘付けになっていた。「大豆田とわ子と三人の元夫」の初回放送である。
 私がこのドラマで印象に残ったシーンがある。それは角ちゃん(2人目の夫)がカフェオレを飲もうとしてストローを口で咥えようとするが何度も逃げられてしまう、というシーンではない。松たか子(大豆田とわ子)が「優しいって頭がいいってことでしょ。頭がいいっていうのは優しいってこと?」とふと口にするシーンである。
 私はこの言葉を聞いて「意味が分からない」と思った。ドラマが終わってから、食器を片している時も、掃除をしている時も、ドライヤーで髪を乾かしている時も、「意味が分からない」と思っていた。寝る準備をしている時、ふとこれについて小説を書いてみようと思った。考えていることをテーマに執筆するとつらつら書けたりするものである。

 机に向かって、どう表現しようかとぐるぐる思考を巡らせ、文字に起こすと考えが整理されていった。思ってもないようなことが文字になって出現し、教えてくれる。そして、私は私にとっての一つの答えに辿り着いた。
 優しさとは「相手」と「私」の希望に沿うよう行動するという矛盾を難なくやり遂げることである。だとすると一見息苦しそうなこの優しさを自然に扱える人は頭が良いとなるのではないか。
 短編小説を数時間かけて終わらせ、今度こそ寝ることとした。ベッドに入り電気を消すと、そこには安心する暗闇があった。明日彼女にこのことを報告できたらいいなと思いながら私は目を閉じた。