【雑記】バーバ

バーバが亡くなって、5年と1ヶ月ほど経つ。"バーバ"というのは自分の父方のおばあちゃんの呼び名で、おじいちゃんは"ジージ"と呼んでいる。

唐突に電話口で兄貴が「今日バーバの夢見てないよね?」と聞いてきた。自分は見てないと答えると、「霊として現れてみんなと当たり前のように一緒にいる夢を見た」と言われた。それがきっかけでなんだかバーバが亡くなった日のことを思い出して、眠れなくなってしまった。

バーバが亡くなった日、親はヨーロッパ旅行の最中であった。自分は実家に一人でおり、その日の夜はジージとご飯を食べる予定だった。家の固定電話の留守番にジージからの伝言が残されていた。「たく、バーバが亡くなったよ。」この言葉は今でも覚えている。悲しそうな声。それでもはっきりと声は出ていて、諦念のようなものも感じた。その後は「今日の食事会は中止だ。そんなわけだから。はい。」こんなものだったと思う。

何日か後だったか、家族全員集合したうちの庭に綺麗なアゲハ蝶がきた。「バーバが来てくれたよ」母さんが最初に言ったのだと思う、そんな言葉が出てくるのは母さんぐらいしかいない。それからうちにはよくアゲハ蝶がくるようになった気がする。今年のbbqでもアゲハ蝶がきてくれみんなで見ていた。こんなに綺麗だったかと毎回思う。

父さんはバーバの息子なのに、亡くなった数日それほど落ち込んでいるような素振りを見せなかった。だが、普段はすぐ寝てすぐ起きる父さんだったが、亡くなった日から数日間はなかなか眠れないみたいと母さんが言っていたのを覚えている。

父さんはすごい。というか母さんも小さな頃に父親を亡くしている。自分は身近な人が死んだらどうなってしまうんだろう。母さんが兄貴が父さんが亡くなってしまったら、自分は抱え込めるのだろうか。今ですらも眠れなくなっている。そんなことが起きたら一生眠れないんじゃないだろうか。いつか安心して眠れるのだろうか。そんな時に支えてくれる伴侶はいるのだろうか。

【随筆】太宰府天満宮レポートと神社での体験について

先月行った太宰府天満宮のレポートと、神社に対して思っていることを書きたくなったので、よかったら暇つぶしに読んでいただけると嬉しいです

本文↓
太宰府天満宮には、着いてすぐ普通に参拝しました
○入り口の鳥居
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○御本殿
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参拝後は神社の奥にある山を登りました。今回に限らず、神社の山が好きで大体登るんですが、ひとけの少ないところでゆっくりと神聖な自然に浸れるのでオススメです。こういうのが静かに見れるのもいいですよね
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自然の音しかない静かな山奥を進んでいくと、ガタガタと響き渡るコースターの音が聞こえてきてちょっと驚きました。遊園地あるやん
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調べたらだざいふ遊園地という子供向けの遊園地みたいです

下山後、太宰府天満宮入り口付近で名物の梅ヶ枝餅を買って、ひとけのない東屋に向かいました。到着して椅子に座って食べ始めようとすると、猫が東屋に入ってくることに気がつきました
可愛いなあと見ていると、こちらに向かってきて、自分の足に体を擦り寄せながら足元をぐるぐると歩いてくれました
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ぐるぐる後、自分が座っている席からすぐの日当たりの良いところで、寝っ転がって、くるりと仰向けになったりして、ゴロゴロ寛ぎ始めました
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これがなんとも可愛いかったんですが、こういう体験に神社の不思議さ非日常を感じてしまいます
自分の経験では、街にいる猫は近づくとすぐ逃げる、江ノ島とかの観光地にいる猫は人間に無関心なイメージだったので、こうやって友好的で、優しくて安心する印象を受ける猫に出逢えたことは非日常でした

今までも神社で非日常を体験することが何度かあったのですが、皆さんもそういうことがあったりするんでしょうか
前に京都に行った時は、
伏見稲荷神社の山奥で、赤い鳥居の足元に白い蛇が絡みつくようにするすると一周して通りすぎたり、
鞍馬山で、山道から少し外れた枯れ木の上にカラスが立って、こちらに向かって何かを訴えるように鳴き続けていたり、
と色々ありました

神社という空間には何か不思議な力があるんじゃないか、あったらいいなという考えの共有でした。これからもこういうところに足を運んでいきたいと思っているので、皆さんが体験した話もありましたらぜひ聞かせてください。最後までお付き合いいただきありがとうございました
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【小説】優しさとメロンソーダと大豆田とわ子(後篇)

「ラストの3人目はついこの前の彼氏で、この人は文句なく優しい人だと思う!」
「どんな風によ」
「私に優しいのはもちろんなんだけど、店員さんにも優しくて、家族も大切にしてた!」
「それは好感度高い。ほんと完璧な人だったんだ?」
「そうだね!私はその優しさにとても惹かれてた。でも強いて言うなら自己評価は低めだったかな。もっと自信持ちなよって散々伝えてたなぁ」
「なるほどそう言う人なのかぁ。そうなるとこの人も優しい人ではないのかもしれない」
「いやいやいや、この人はそんなことないって!」
 私は少し強引かと思いつつ、考えが合っていることを確認してから言った。
「他人の事を考えて行動するのは、自分のために行動してるんだと思わない?自己評価が低ければ承認されたさから行動が出たっておかしくないよ」
「それはそうだけどさぁ。そんなこと言っちゃったら世の中の人みんな優しくなくなっちゃうよ」
 彼女はそう言った後、メロンソーダのストローを前歯で噛みながら私にニィと笑顔を向けた。うーんと考えていた私も透かさずストローを前歯で噛んでニィとした。そして深刻から楽観へと頭を切り替えようとしたが、一度疑問に思ってしまったことを消すことができず口に出した。
「私もこんなこと言ってるけどほんとの優しさって分からないなあ」
 大丈夫だよ!という笑顔で彼女は言った。
「ここまで私の元彼自慢を面白くしてくれたんだからさ!あなたは私にとって大変に優しい人だよ」
「そうかな、自己評価の低さから出てる優しさでない?」
「それは分からん!そうだとしてもだよ。私はあなたの優しさを肯定するよ」
「サンキュ」
「良いってことよ」

 課題は進まなかったが頭は大変な仕事をしたため、私は堂々と帰宅した。一人暮らしの部屋には、一度買ってみたらなぜか蒐集癖に火がついてしまった達磨がそこら中に置いてある。一人暮らしは孤独という一般論があるが、このような独自の秩序の中で暮らせることを私は結構気に入っている。帰宅して早々に部屋着に着替え、さてとと夕飯の準備をした。

 作った料理を食卓に並べ、テレビの電源を点けた。夕飯時は何の気なしにテレビドラマを見るのが日課である。が、その日は気がつけばご飯を食べる手を止め、大きな体の達磨を抱えながらそのドラマに釘付けになっていた。「大豆田とわ子と三人の元夫」の初回放送である。
 私がこのドラマで印象に残ったシーンがある。それは角ちゃん(2人目の夫)がカフェオレを飲もうとしてストローを口で咥えようとするが何度も逃げられてしまう、というシーンではない。松たか子(大豆田とわ子)が「優しいって頭がいいってことでしょ。頭がいいっていうのは優しいってこと?」とふと口にするシーンである。
 私はこの言葉を聞いて「意味が分からない」と思った。ドラマが終わってから、食器を片している時も、掃除をしている時も、ドライヤーで髪を乾かしている時も、「意味が分からない」と思っていた。寝る準備をしている時、ふとこれについて小説を書いてみようと思った。考えていることをテーマに執筆するとつらつら書けたりするものである。

 机に向かって、どう表現しようかとぐるぐる思考を巡らせ、文字に起こすと考えが整理されていった。思ってもないようなことが文字になって出現し、教えてくれる。そして、私は私にとっての一つの答えに辿り着いた。
 優しさとは「相手」と「私」の希望に沿うよう行動するという矛盾を難なくやり遂げることである。だとすると一見息苦しそうなこの優しさを自然に扱える人は頭が良いとなるのではないか。
 短編小説を数時間かけて終わらせ、今度こそ寝ることとした。ベッドに入り電気を消すと、そこには安心する暗闇があった。明日彼女にこのことを報告できたらいいなと思いながら私は目を閉じた。

【小説】優しさとメロンソーダと大豆田とわ子(前篇)

「私っていま思い返すと元彼が全員優しかったんだよね」
「そうなの?恵まれてるんだね」
 森林に囲まれた大学の学生食堂で、彼女と私はごく自然に会話を始めた。時刻は午後3時。お互いに溜め込んでいた課題を持ち寄って、お互いを鼓舞しながら課題を片すためここに集まったのだった。席に着くまではこの難題をなんとか乗り越えられる算段だったが、課題を机に広げた時には集中する気すら起きていなかった。気がつけばひたすらにペンをにぎにぎしているのみであった。彼女も同じく、教科書をパラパラするという異なる流派を披露していた。その膠着状態から救ってくれたのが冒頭の彼女の一言であった。そのため私たちはごく自然に会話を始めることができたのである。

「1人目は会う度に好きって言ってくれたし、いつもご飯代払ってくれた!」
「ほうほう!」
「それで頭撫でてくれたりして『お前の他には何もいらない』って言ってくれたなぁ」
「ちょっとクサイけどいい男だねぇ。私好きだよ」
「でもなー、最後は飽きたって言われて別れちゃったんだよね」
「そうだったのかー」
 私はそこで頭を使いたくなった。おそらく課題のために用意していた頭を使わなくなったため、ウズウズとしていたのだろう。回転させた頭から出た言葉が次である。
「でもさ、それって本当に優しい人だったのかな?」
 彼女は少し驚いたのち、面白がった様子で答えた。
「えっ優しかったよ?」
「本当に優しい人ってさ、飽きたって言葉で別れないんじゃないかな。相手の気持ちよりも自分の気持ちを優先してなきゃそんな言葉でないよ」
「確かになんのフォローの言葉もなく飽きたの一言だった!」
「好きな人には誰でも優しくするもの。優しい人ではなかったけど、愛されてたっことだね」
「確かにそうかもなぁ」
 彼女はうんうんと考え込んだフリのような動作で斜め下を眺めた。いくらかうんうんを繰り返した後、満足した様子で顔をあげて言った。
「じゃあさ、次の彼氏はどう?」
「うんうん聞かせて」

「2人目はね、とっても寛容な人だったの。いつも私の希望を聞いてくれて、怒ったことなんてひとつもなかった」
「ふむふむ」
「でも私が悪かったんだよね。向こうのことを好きじゃなくなっちゃってさ」
「どうして?」
「刺激が足りなくなっちゃったのかな。1人目に言われたみたいに今度は私が飽きちゃったんだよね。もちろん私は飽きたの一言で済ませなかったよ!」
「あんたは相手のこと考えて発言するって知ってるよ」
「さすがだね」
 透かさず私は話を元に戻した。
「でもさ、その2人目が優しいかは怪しいところがあるよ。ただ寛容なだけだったんじゃない?」
「この人も優しくない?」
「うん。感情の起伏がなくて、何が起きても平坦な人っているじゃない。そういう人って一緒にいると安心できるんだけど、感情の共有がしずらいと思うんだよね」
「そういえば2人でご飯食べる時、これ美味しいね!って言い合えなかったのが不満だったかも」
「その人も悪気があるわけじゃないんだけどね。相手のことを考えての寛容さではないから、優しい人ではなく寛容な人ってだけになるだろうね」
 彼女はわざと眉間に皺を寄せてうんうんと下を向いたのち、今度は私に顔を向けてうんうんと笑顔で頷いた。この笑顔は名案を思い付いた嬉しさから来たということを次の発言で知ることになる。
「なんだか少し休憩したくない?こういう話には糖分がないとね!メロンソーダでも買おうと思うけどいる?」
「バーガー屋のメロンソーダか!私もほしい」
「おっけい、100円ちょーだい」

 100円を受け取った彼女は休憩休憩!と独り言を大きく呟きながら食堂内にあるハンバーガー屋へ向かった。私はぼんやりとメロンソーダのシュパシュパとした喉の刺激を思い浮かべながら彼女の後ろ姿を眺めていた。
 戻ってきた彼女はほいよっとメロンソーダを私に差し出した。
「サンキュ」
「良いってことよ」
 2人はコップを左手に持ち、ストローを右手で掴んでゴクッゴクッと糖分を補給した。そして、ほぼ同時にプハーッと天井を見上げた。糖分が頭に周り、炭酸と冷たさが全身に染み渡っている感覚に支配された。その間彼女は何も言わなかった。彼女も同じようにメロンソーダの至福の中にいることを悟った。
「これなんですよ」
「これなんですな」
 少し間を置いてから現実に帰ってきた彼女が言った。
「よしっ続きを始めましょうか!」
「どんとこい!」

【随筆】兄が実家を出る

 自分には三つ上の兄がいます。この兄はいつも頼れて笑わせてくれる"theお兄ちゃん"といった感じの人です。小学生の頃、家族でちょっと高いホテルバイキングに行った際に、自分は緊張してしまい、焼く必要のある生肉を間違えて皿に載っけてしまったことがありました。自分はその失敗にどうしようもなく情けなくなり動けなくなってしまいました。その時に代わりに「間違えて載せてしまったので焼いてくれますか?」と聞いてくれたのが兄でした(マジで助かりました)。

 そんな兄なんですが今から三年前、結婚して実家を出て行く日がありました。その前日の夜の出来事です。
 自分は特に気にせずに寝ようとベッドに入っていました。あまり家にはおらずいつも友達と遊んでいるような兄だったので、「まあこれからも会うだろうしあまり変わらないか」という気持ちでいました。が、どうにも寝れません。急に寂しくなってきたのです。まあそれもそうかと起き上がり、今までの感謝の手紙を書くことにしました。
 今までお世話になったこと、尊敬していること、これからのこと、かなり時間をかけてどうしたら感謝を伝えられるだろうと何度も書き直しました。書き終えた頃には明け方になっていました。読み返して、ちゃんと伝わるだろうかと確認しました。その時の感想としては、「形にはなっているけど、少し嘘っぽいな」でした。せっかく書いたから渡したい…。けどこれを渡すのは本望じゃない。だけど他に感謝を伝えられるものなんてなあ…。そんな中で一つの案を思いつきました。
 絵本をあげることでした。大切な人が出来た際に渡そうと思っていた本が家にあったのです。その本は「GUESS HOW MUCH I LOVE YOU(邦題:どんなにきみがすきだかあててごらん)」というタイトルで、小さなうさぎが大きなうさぎにどれだけ好きかを言い、大きなうさぎもそれより大きな愛を小さなうさぎに伝えるという物語のものです。
 当日の朝になり、家を出て行く少し前に兄を呼び、本を贈ることを伝えました。この本は洋書のため、自分が読み聞かせのような形で訳して内容を理解してもらってから渡すことにしました。
 読み聞かせを始めてまもなく、どちらからともなく二人とも泣いていました。色んな方法で何度も小さなうさぎが好きを伝えて、その度に大きなうさぎがそれを超えて愛を伝える。その繰り返しを読むと自分は何故か泣けてきていて、その側にいる兄も泣いていました。兄の泣く姿を直視することはできませんでしたが、自分の想いがちゃんと伝わったんだなと感じて安心しました。

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